鵜野森日枝神社の歴史と、「三神」の足跡
日枝神社の歴史
(旧名称 日枝大神)
祭神:大山咋神(オオヤマクイノカミ)
須佐之男命(スサノオノミコト)を祖父に持ち開拓の祖神、山の神としてあがめられている。
山城ノ国(京都)、丹波ノ国(兵庫)の治水を行い、又酒を造るのも上手な神で、酒の神としても敬われる。
由緒:
いつごろからかは不明だが、昔から村の鎮守様は
神明社(天照大神)
鹿島社(建御雷之男神 タケミカヅチヲノカミ)
山王社(大山咋神)
の三社とされあちらこちらに点在していた。
明治四年に山王社が地理的に一番良しとされ日枝神社と改称し、二年後には政府より村の神社として定められ、
更に大正十一年六月に上記の神明社と鹿島社、それと八幡社(応神天皇)を日枝神社一箇所に合日した。
昭和二十七年九月六日付けで宗教法人日枝神社となって今日に至っている。
※( )内は祭神
「三神」の足跡、鵜野森日枝神社の歴史
三神の前身は、昭和23年に九嶋蔵寛先代の総代が子供神輿を奉納され、永らく祭礼の際に担がれていたと聞いております。
その後昭和54年に九嶋勇作顧問が大人神輿を奉納され、その年の10月に初めて大人神輿の巡行が行われたそうです。神輿の担ぎ方も知らない村の若者が江戸前という担ぎ方を連日連夜練習に励みましたが、ステップは踏めても前には進めず、とても大変な練習だったそうです。
翌年の昭和55年3月神輿同好会の発足を迎え、九嶋一郎初代会長の発案により三神の会の名称が決定し、絶大なるリーダーシップの基、有志が集まり現三神が発足しました。
その後2代目会長に小方久義現世話人、3代目会長には小方昇現世話人、4代目には大谷進現世話人と引き継がれ平成2年に神輿同好会から保存会に変更し、鵜野森日枝神社の神輿保存巡行に協力する団体として活動するようになりました。
平成4年からは、九嶋勇作顧問奉納の万燈神輿が宵宮の夜に巡行されるようになり、また平成10年より三神が花火を奉納するようになり、子供会の協力を受け万燈神輿の巡行に、より一層の盛り上がりとなっています。
平成8年より毎年9月14,15日だった祭礼を9月第二週の土、日曜日に変更し、より一層の盛り上がりをみせるようになってきました。
神輿巡行以外にも、毎年12月31日から1月1日にかけての神社おこもりに協力しており、樽酒、甘酒、みかんを配り、うどんや田楽の販売と趣向をこらし日枝神社の初詣に来られる参拝客の増加に一役を買い、日枝神社からも喜ばれております。
年号 |
三神の歩み |
三神を取り巻く環境 |
昭和23年 |
|
今まで演芸中心とした村祭りに九嶋蔵寛氏より子供神輿奉納され祭りに華がそえられる |
27年 |
|
9月6日付けで宗教法人日枝神社となる |
54年 |
九嶋勇作氏より大人神輿が奉納され、10月の初巡行に向け連日江戸前のステップの練習を行う |
10月に初の巡行実現 |
55年 |
正式に神輿同好会三神を九嶋一郎会長中心に立ち上げる(3月) |
鵜野森にも神輿を中心とした祭礼が立ち上がりつつあった |
58年 |
|
当時の宮総代の九嶋作次郎氏より山車が奉納され、さらに祭りらしい盛り上がりが出る |
62年 |
|
日枝神社にて大人神輿の鳳凰購入頂く |
平成元年 |
同好会として各地域の会と交流をはかっていたが、地元に根付いた祭礼活動を目指し、鵜野森日枝神社神輿保存会三神と現名に変更 |
子供会会長が中心となり小学生十数名と囃子経験者の有志でお囃子開始 |
2年 |
発足10周年を迎える |
|
4年 |
九嶋勇作氏より万燈神輿が奉納され、同年宵宮から巡行が始まる
祭りも2日間に渡っての行事となる |
|
6年 |
台風による大雨に見舞われ、巡行は初の中止となる
同年初めて大人神輿の化粧直し実施 |
|
7年 |
発足15周年を迎える
神楽殿にて記念式典を行う |
|
10年 |
|
宵宮の万燈神輿に華を添える子ども会の花火が開始 |
11年 |
発足20周年を記念し巡行時のビデオ作成 |
|
13年 |
祭礼だけでなく家族の親睦をはかる為旅行、花見に加え、ボーリング大会を開催 |
今井八郎氏より新山車が奉納される
平成14年からは大野台公民館祭り、大野中公民館50周年へ囃子連出演 |
15年 |
三神の看板新調 |
囃子連の活動も活発となり、踊りも含めた稽古に熱が入る |
16年 |
発足25周年迎え、25周年記念式典開催 |
|
以上 鵜野森日枝神社神輿保存会 三神「創立二十五周年記念誌」より引用